学長メッセージ

学長メッセージ

獨協大学学長 前沢浩子獨協大学学長 前沢浩子

 獨協大学の起源は1883年に設立された獨逸学協会学校に遡ります。初代校長であった西周(にしあまね、1829-1897)は、徳川幕府よりアメリカに派遣されることが決定していました。しかしアメリカで南北戦争が始まったためこの派遣は中止となり、派遣先はオランダへと変更されます。西周は2年余りのオランダ留学で、グロティウスの国際法やカント哲学を学んでいます。帰国した西周を待ち受けていたのは、明治維新という大きな歴史の転換でした。維新後、急速に近代化を急ぐ日本で、ドイツの学問を受け入れるための教育機関として作られたのが獨逸学協会学校です。その獨逸学協会学校で学び、新しい時代を切り開いた若者の一人が、やがて獨協大学を創設することになる天野貞祐(あまのていゆう、1884-1980)でした。

 天野貞祐はカント哲学の研究者として『純粋理性批判』の完訳を成し遂げました。カントは国民や国家という枠組みを超えて、人間が何を知り得て、何をなすべきかについて深く考察しました。西周が学んだグロティウスも、国家を超えた普遍的人類法の存在を主張し、「国際法の父」と呼ばれています。グロティウス、カント、西周、天野貞祐は、いずれも国や時代を超えて人類が共有すべき普遍的価値や国際的共通ルールのあり方を探った思想家でした。獨協大学はこのような思想的系譜の中に立っています。

 国際性を重視しながらも、獨協はドイツという国名を冠する教育機関です。そのことにより、歴史上の国際社会の動乱と無関係ではいられませんでした。第一次世界大戦ではドイツは敵国となり、獨逸学協会学校も経営の危機に直面しました。第二次世界大戦で日本がドイツとともに敗戦国となった後には、獨協という名称を「独立協和」と解釈しなおした一時期もありました。

 教育者としての天野貞祐もまた歴史の荒波に揉まれます。第二次世界大戦前、京都帝国大学教授であった天野は、満州事変後の全体主義的な修身教育を批判して軍部と対立し、著書『道理の感覚』の自主廃刊に追い込まれました。カント哲学に基づく教育観を持つ天野貞祐にとって、人間の尊厳とは「自己の内に道徳律の声を聞く」ことであり、国家主義的な修身教育と道徳とは相容れないものだったのです。戦後、文部大臣となった天野貞祐は、内的規範に従った行為を実践する「道徳」の意義を伝えるために道徳教育復活を主張したものの、反動的修身教育への回帰だとして一部から批判されました。

 内なる道徳律は、国家という枠組みや世間や時流のしがらみを超える普遍性を持ち得ます。このような普遍的価値観に従って行動できる「独立の人格」の育成を目的として、1964年、天野貞祐先生は獨協大学を創設しました。獨協大学の学則第1条は「複雑な国内および国際情勢に対処できる実践的な独立の人格を育成することを目的とする」と謳っています。今も私たちは、地球環境破壊、AIの急速な進歩、国際紛争といった変動の時代を生きています。見えぬ未来に怯えるのではなく、変化する時代にあっても個人の幸福と社会の安寧とを求め続ける意志が私たちに求められています。現代社会に次々と立ち現れる課題を前に、時代や地域の違いを超える普遍的価値を求め、その規範を実践へと繋げられる、その一人一人の力を育む場が獨協大学です。

 「独立の人格」というと難しく聞こえますが、一人一人が自分の感性や判断力を持ち、その感性や判断力に従って、発言し、行動することです。自分の心の内側の声に耳を澄ませ、その声に従って行動することは、時に勇気を必要とします。その勇気は、世界を知り、歴史を理解し、他者へ共感する気持ちを持つことで養われます。ささやかな勇気でも良いのです。小さな勇気を一人一人が持てば社会は変わります。獨協大学で学ぶ人たちが、そのような勇気を持って未来を切り開いていってくれることを、願い、信じています。