講和集4

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学友会発会式式辞

学長講話(5)「就職希望者のために」1967(昭和42)年6月21日

皆さんは、獨協大学が育成した最初の卒業生です。皆さんによって、社会は獨協大学というものがどういう大学だということを判断するだろうと思うんです。そういう意味では、皆さんの責任というものも非常に重いし、また、私たちとしては、この学園が、まるで田んぼであったときから今日に至るまで、苦楽をともにしてきた諸君に対しては特別の感情を持っているわけで、どうか諸君が無事によくやってくれればよいがということは、どの卒業生に対しても考えますけれども、特に諸君に対しては非常にそういう感情を持っているわけでございます。

諸君が今度、社会へ出ていくに当たって、自分たちは必ずしも受験の優等生でなくたっていいんです。そうじゃなくて、社会の優等生になろうということを考えて行ってくだすったらよろしんです。社会の優等生になるにはどうしたらよいんだというと、私がよく言いますように、まず、しっかりした心構えを持つことです。自分のただ利害のためじゃなくして、ひとつこれから社会に出ていったら社会のために働いて、そして、皆さんが宣誓されたように、社会、国家の創造的な奉仕者になろうと、社会、国家に仕えるものになろうと。自分がそこからして利益をただ得ようというんじゃなくて、自分が一つの仕事によって創造的な要素になろうという、そういう気持ちがまず大切だと思うんです。これから諸君がどういう職業におつきになるか知らないけれども、その職業を通じて、ひとつ社会、国家のために自分たちは大いに働こうという、そういう心構えが必要だと思うんです。

それには、まずそういうような心構えが大切でありますが、ただ心構えだけでは足りないのであって、自分たちがしっかりした判断力を持って一つのことをやるのには、こういうようにやろうというような、頭をしっかりさせて判断をしていくという、思慮と言ってもよろしいんですが、そういう思慮の力を養っていって、しっかりした判断をして間違わないようにすると。人間は、良いと思ったことがきっと良いというわけにいかないんです。もし人生というものが、自分らが良いと主観的に考えたことがいつでも良いというなら、それは非常にやさしいけれども、そうじゃなくて、自分たちの考えたことも間違うこともあり得るという、そういう謙遜な気持ちをみんな持っていることが必要だと思う。したがって、何か事があったらば、やはり先輩とか、先生とか、そういう社会の経験のある人の意見を聞いてみるということが必要だと思うんですね。

そういうようにして、しっかりした心構えを持ち、自分一身のためよりも、むしろ、自分はひとつ社会の奉仕者になろうというような、そういう考えを持っていくという、そういうこと。それから次に、そういう判断力を間違わないように。それには、平生からいろいろなことを誠実にやるとかいうようなことよって判断力を間違わないようにしていくと。同時にまた、諸君がどういう職業につくにしても、その職場の知識技能力というものを持っていなくちゃならない。そういう知識も十分に養っていくということ。

それからさらに、平生から気をつけていて、情操を養っていくということも必要だろう。最後に、体がよくなくちゃだめだ。健康ということが必要なこと。健康であるためには、いちどきに健康になるわけにはいかないから、日々気をつけていくと。よく世間では、みんな体を丈夫にするといって、いろいろな工夫をするけれども、私は、体を丈夫にすることも必要だけれども、体を悪くしないことが必要だと思うんです。もう諸君は大学に入る前のような無理な勉強をする必要はない、そういう無法な勉強をする必要はないんですから、規則正しくやって、そして、体を悪くしないように。そうすることが同時に体をよくすることですから、そういうようにして体を養っていくと。

これからの社会は、よく人が言うように、力の社会だと。コネとかいうようなものなども、それはある程度の力は持っていても、結局は本人に力があるということなんです。じゃどういう人が力があるんだと、こういうならば、まず第1に、体ですね、健康があるということが力のある人の一つの要件だと思うんです。それから2番目に、やはり知識技能力があるということ。3番目に、誠実な人格であるということです。すなわち、人間が誠実だということですね。そういうことが力のあるという人の要件だと思うんです。だから、自分を反省して、そして、自分はしっかりした信条を持ち、また、知識技能力も養い、健康を持っているならば、自分は安心して、社会のどこにでも出ていったらいいと思うんです。

今、社会の一線に立って働いている人の多くは、必ずしも若いときからそうなれると思ってやったわけじゃないと思うんです。大体の人が、やっているうちにだんだんそういうふうになった。要するに、まだ諸君は大学生といっても、私などから見れば、可能性そのものだと言ってもいいと思うんです。では、その可能性を開発することが必要なんです。私がいつも興味を持って考えていることですが、内村鑑三先生なぞは、大学を卒業したときに農商務省(明.16)の、今の農林省の役人になったんですが、そして、魚のことが研究題目なんですが、その報告を出すのに、先生は日本文が書けなくて困ると友達によく話していたというんです。自分は報告を出さなきゃならないけれども、その日本文が書けないで困ると。英文で書きたいといっても、役所は英文ではいけない。内村先生は札幌農学校の出身で、そして、英文なぞを書くことは得意だったからして、英文で書くならわけないけれども、日本文では書けない、実に困ったと、こういうように言って話していた。その人が、しかし、練習をすれば、ああいうような、ほとんど他人の追随を許さない文章を書くようになった。そういうように、多くの人が隠れた才能を持っている。意外なところにそれがあらわれてくる。それにはどうするかというと、やはりたゆまざる勉強ですね、そういうことによって才能がでてくるということがある。

だから、諸君はどうか、この立派な大学において修行をしたんですから、自信を持って、そして、もうどこに出ていっても自分たちは何も引けをとることはないという考えでもって、この試験に応じてもらいたいと思うんです。いわば、スポーツをやるような気持ちで、安楽な気持ちで、その試験に立ち向かったらいいと思うんです。余り心配しないで、スポーツのような気持ちで立ち向かったら、安楽な気持ちで立ち向かえば、案外諸君の力が出てくるんじゃないかと思う。そして、一旦いずれかの会社なり、職場に入られたらば、私が諸君に向かってこの大学に入ったときに言ったように、その職場を対象的に考えないで、自分が主体的に考え、その職場の中の者であると。ちょうど獨協大学というものを諸君が対象的に考えて、自分はそこへ毎日通ってきて学ぶんだというんじゃなくて、自分は獨協大学の一員なんだと、そういう気持ちを諸君に持ってくれということを言ったんです。だから、今度どこへ行かれても、その同じ気持ちでやられたらよろしい。私が諸君に望みたいことは、諸君が入学のときに私が諸君に宣誓してもらったことを、今度改めて考えてみていただきたいと思うんです。

諸君は、もう宣誓文は忘れてしまったかもしれませんけれども、どうかひとつ、私はあれを、要するに私の諸君に望む一番の点なんですから、よく読んでみて、そしてひとつ考えてみていただきたいと思うんです。私が今日ここで読んでみます。諸君はこういう宣誓をしてここへ入られた。それをまた今度、新しく入るところに向かっても、その同じ精神でやればいいんだと思うんです。私が読んでみます。「わたくしは、獨協大学生として、この倫理的・文化的教育共同体の一員として、学問の同志として相互に信頼し、大学理念の実現に学生としての誠実な協力をいたします」と。だから、どこへ入っていっても、そこを対象的に考えないで、自分がその中の一員で、そして働いて、その仕事を働いて、そして、その場所をよく発展させるということを考えてもらいたいと。それから次に、「学生としての在り方を謙虚に反省し、学則はもとより、一般に法を尊び、秩序を重んじ、日日の生活は規則正しく、勉学に精進し、心も健康、からだも健康、他日、国家社会の優れた創造的奉仕者と成ることを期します」と。だからして、諸君が一つところに入っても、ただ自分の眼前の立身出世とかということじゃなくして、何かその店のため、会社のため、あるいは何かの一つの事業のために自分が精進して、そこを発展させることによって国家社会のすぐれた創造的奉仕者になろうと、そういう考えを持ってやっていただきたいと思う。そして、諸君がそういう考えを持ってなされば、今、社会はこの獨協大学というもののあり方に対しては非常な同情を持っていると思うんです。きっと諸君をもよく迎えて、そして、諸君に十分力を伸ばすことができるようにしてくれると思うんです。どうかよろしくお願いします。以上です。