1999 学生懸賞論文入賞作品(1編)

1999 学生懸賞論文入賞作品(1編)

入選

該当作なし

佳作

「ボランティアとは何か」
経済学部経済学科3年 金子 裕一 要旨はこちら

<佳作>
「ボランティアとは何か」
経済学部経済学科3年 金子 裕一

 「このようにして、氏族、部族、民族は-将来、文明的と称される我々の社会において、諸種の階級、国民、個人が学ぶ取るにちがいないように-相互に殺戮し合うことなくして、対抗し、相互に他の犠牲となることなくして、与え合う方法を知ったのである。それこそ、彼等の叡智と連帯責任の秘密の一つである。(1)」

ボランテイアについて論ずる際にしばしば仮定される自己犠牲的奉仕というの通念(2)形成は、ボランテイア活動というものが非自然的に発生するものだという印象につながっている。合理的、功利的人間観に基づいた善、偽善というボランテイアへの評価は、ボランテイアが"特別"な活動であることから脱する際の障害となっている。したがって、私は、この通念から脱することがまず必要であると考える。
ボランテイアは常に交換の原則が上手く機能しない部分を奉仕という、一見多大な浪費を含んだもので補うという位置付けであった。その点も含めて、この論文では共生への欲求という視点で、未開社会の交換形態などに触れながら説明を試みる。それに先立って、私はこの共生を欲する人々を逆ジュラシックパーク症候群(3)と呼ぶこととする。
この逆ジュラシックパーク症候群はまず社会に要請される。例えば、災害による経済システムの故障は、ボランテイアという非経済的行為により回復する。つまり、ボランテイアは非経済的効用、目的を持ちながら、経済的なものへの寄与も同時達成するのである。
そして、ボランテイアは行為主体としての個人にも要請される。今までは同質性の基盤(4)の上に、自我をもとめて個性化を欲してきたが、現在は異質的基盤の上に同一性を求めるとう社会化過程の構造的転換がみられると私は考える。自明であった準拠集団が不安定化したがゆえに、所属による自我の安定、確立をもとめて同質性への欲求は高まる。これが共生欲望の背景であり、個人に対してボランテイアを要請する誘因である。しかし、共生を達成するには、厳密には自我の安定を達成するには、異質な他者の無害化が社会的にも個人的にも必要である。その無害化は交換という過程を通じて行われる。逆ジュラシックパーク症候群は社会的な報酬、評価と労働を交換することで自己を(確立)安定させ、行為による接触をとおして信頼(5)

 (予期的な次元での自己安定)を得る。と同時に社会は彼等を媒介にして乖離されていた部分を無害化してシステムに取り込むことを可能にする。身体障害者は、彼等が媒介することで経済システムの取りこまれることを可能たらしめる。
しかし、媒介する彼等の行為は自己犠牲的とも無償の奉仕ともいえない。そこには交換を通じた互報性がしっかりと存在しているのである。この点について私は、未開社会における交換(贈与)形態と関連させて、M.モースの『贈与論』を引き合いに考察した。
今後、私はこのような社会的な誘因や個人的な誘因によって、共生への欲求を背景にしたボランテイア活動はさらに拡大し続けるであろうことを示唆すると同時に、善、偽善や一方的奉仕といった通念だけに終始するきらいを問い直すべきであると考える。ボランテイアは社会と個人に要請されるという意味で、「相互に殺戮し合うことなくして、対抗し、相互に他の犠牲となることなくして、与え合う方法......それこそ、彼等の叡智と連帯責任の秘密の一つである。」という『贈与論』の一節そのものなのである。

注釈

(1) M.モ-ス著 有地亨訳『贈与論』勁草書房 1962年刊p.259
(2) この場合の通念とは、Conventional Wisdom{John K.Galbraith,THE AFFLUENT SOCIETY (LONDON:Hamish Hamilton Ltd.1958)pp.5-15を参照されたい}という必ずしも現実に妥当しない、安易に形成された社会意識という意味を強調したもの。
(3) 小田晋氏の造語で「ジュラシックパーク症候群」というものがある。これは、社会的に不適応な精神障害者の予防治療に反対し、犯罪予備群を乖離状態から解放しようとする人々について、同氏が名付けたもので、犯罪予備群と一般生活者の無規制な共生を有名な映画のそれに例えている。逆ジュラシックパーク症候群とは、政治的、経済的にシステムから乖離している人々をシステムに組み込み共生を図ろうとする人々の意。
(4) 基盤とは会社、家族、学校、地域など基本的な準拠集団を示す。従来は、それらが同一の規範、形態を前提として同質的であったが、現在は会社も、家族も、地域も多様化し異質的である。私見だが、思春期、青年期は社会と対立し自我を確認する傾向がある。したがって、若年層の行為志向は社会的な様態と逆に現れるのではないかと考察する。
(5) 先入観や偏見といったものの除去による自我の安定を意味する。個人的なレベルでの無害化でもある。

参考文献

・金子郁容著『ボランティア‐もう一つの情報化社会‐』岩波新書1994年刊
・宮台真司著『世紀末の作法』メディアファクトリー1997年刊
・上野千鶴子著『構造主義の冒険』勁草書房1985年刊
・U.エーコ著池上嘉彦訳『記号論Ⅰ』岩波書店1996年刊
・J.ボードリアール著今村仁司訳『記号の経済学批判』法政大学出版局1982年刊
・石川准著『アイデンティティ・ゲーム』新評論1992年刊

 

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