2000年 第13回獨協インターナショナル・フォーラム

2000年 第13回獨協インターナショナル・フォーラム

知と場所

日時 2000年12月9日(土)~ 10日(日)2日間
主催 国際交流センター、言語文化学科
主旨

 知というものは、ものごとに直面してそれを知覚し、表象するというような内面的主観的行為の結果形成されると考えられることが多い。したがって、知というものは主観的なものであると考えられている。この考えを極端化すれば、知は意識の作り上げたものであって客観とは、したがってまた客観的世界とは何ら直接のつながりはないものというような見方にまでなりうる。つまり、ものごとの知は客観性とは直接の関わりはないということにもなる。

 しかし、知はそれを得ることになる場所から切り離されるとしたならば、具体的なものとはなりえない。もしこのことが知の本質に属しているとしたならば、主観と客観(主体と客体)とが場所において、しかも場所そのものと共に、いわば互いに切り離し難く結び合わされており、そこでは主観性と客観性(主体性と客体性)とが元初において合一していると考えられるが故に、ものごとに関する知にはすでに客観性(客体性)があることを認めざるを得ないであろう。そして、この場合の「場所」とは主観と客観(あるいは主体と客体)と、それらがおいてある場所とが互いに織り合わされた合一という現象であり、あるいは主観と客観(主体と客体)とが場所の一性へと合一されることを可能にする作用そのものと考えることができる。

 それと同時に実践的な面では、知の場所性(すなわち局所性)ということも考えられなければならない。なぜならば、知はそれが成立する場所、即ち具体的な場所と切り離し難く結びついているのであるからである。この意味で、自然科学において考えられている知の普遍性もさらに考察されることが求められる。 場所に関する以上のような考え方は、一方では、主観性と客観性(主体性と客体性)が切り離し難く結び合わされていることを示し、他方、異なった文化間の相互理解のための共通基盤を見出す可能性をも示している。なぜならば、この対話の可能性は局所性と普遍性の結び合わせ、あるいは織り合わせの上に打ち立てられるはずであるからである。

 このフォーラム中の「知と場所」に関する、異なった文化的背景からのディスカッションを通して、上に述べたさまざまな問題点に光を投げかけることができるように努力したい。また、現代世界の諸問題への解決に向けて所謂京都学派の哲学の可能性を探ることができればと考えている。

(文責:松丸 壽雄)

日程および参加者

12月9日(土) 第1日目

9:40-10:00 受付
10:00-10:25 開会の挨拶
10:25-10:45 挨拶と紹介
10:45-11:45 公開講演「知と場所」 上田 閑照(京都大学名誉教授)
13:30-14:15 発表1「Local Roots and Universal Knowledge」 J. C. マラルド(ノース・フロリダ大学教授)
14:15-15:30 発表2「場所としての言葉」 大橋 良介(京都工芸繊維大学教授)
16:00-17:15 発表3「The Topos and Chora of Knowledge」 A.ベルク(社会科学高等研究院教授)
17:15-18:00 発表4「『知』の変容」飯島 一彦(獨協大学教授)

12月10日(日) 第2日目

10:00-11:15 発表5
11:15-12:00 「自然言語処理のための知識獲得について」呉 浩東(獨協大学助教授)
13:00-14:15 「Tradition and the Problem of Knowledge in Late Nishida Philosophy」 A.ハシント=サバラ(メキシコ、ミチョアカン大学教授)
14:15-15:30 「自覚と場所と表現」長谷 正當(京都大学名誉教授、大谷大学教授)
16:00-17:15 全体討議