「天野貞祐博士」(齊藤 博)

天野貞祐博士略年譜(『回想 天野貞祐』より抜粋)

百余年の歴史を誇る獨協学園の、第十三代中学高等学校長であり、獨協大学の初代学長である文学博士・天野貞祐は、ドイツの哲人カントの『純粋理性批判』の日本最初の完訳者(岩波文庫旧版)として高名である。

「昭和十五年戦争」(1931-45)の初期に名作『道理の感覚』(岩波書店)を発表し、軍国の時潮を毅然とした姿勢のうちに批判した。その丁寧かつ明解な論述は、当時の知識人の良識派と青年学徒に、大きな影響を与えた。

戦後は、学制改革前の旧制一高校長として高校生と苦楽を共にしたことや、吉田茂内閣の文部大臣に就任し、戦後教育の復興期を指導して、その確立に努めた事で知られる。

その後、母校獨協中学高等学校の戦後荒廃を見るに忍びず、校長に着任、あるいは廃校寸前といわれた獨協学園の再建に尽力した。簡潔、平明な言葉での倫理講話を生徒、父母、教職員に行い、感銘を与えた。

昭和30年代中葉にいたり、高度経済成長の上昇気流の中で、父母の強い要望のもと、「学問を通じての人間形成」という自らの理念を私学で実現するために、獨協人70余年の宿願である大学設立に着手した。

昭和39年、気宇壮大な実業家・関湊理事長の絶妙なる協力のもとに、獨協大学が開学したのである。

昭和44年、燃え盛る「大学紛争」の渦中で学長職を辞任したが、その後も学園長として獨協学園(獨協大学、獨協医科大学、獨協中学高等学校、獨協埼玉高等学校など)の発展を見守ってきた。

昭和55年、96歳の長寿を全うした。

(獨協学園百年史編纂主任)

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