第1回入学式式辞

「大学における人間形成」天野貞祐 (昭和39年4月26日)

「大学における人間形成」
天野貞祐 17分20秒(7.93MB)

学生諸君、親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私は獨協大学の名において諸君を獨協大学学生として、獨協大学の理念を実現すべき同士として、協力者として受け入れることをここに宣言いたします。これをもって、諸君は新大学の新大学生として誕生したわけでございます。

獨協大学は、諸君を受け入れることによって、世界の教育史上に一歩を踏み出したわけでございます。私たち何という喜びであろうか、何という感激であろうかと言わざるを得ません。しかし、私たちは大学という厳粛な義務と責任とを痛感いたすものでございます。

獨協大学は、日本の大学教育に一新紀元を開こうというものでございます。したがって、まず第1に多くの若い魂を苦しめ、しかもしばしば本当の英才を振り落としてしまう、この入学試験というものに革新をもたらそうという考えであります。

2番目に、従来の大学は入学は非常に困難であるけれども、しかし入学したことが既に到着点であるような感じをもって、その後はただ安易に生きて、それで卒業できるというのが従来の行き方であります。私たちはそういう従来の方向を転換して、入学は比較的易しいけれども、しかし十分勉強することなくしては卒業はできないと、そういう新しい構想に立って大学生活を営もうという問題であります。

3番目に、人間教育ということが言われておりますけれども、私どもの考えている人間教育というのは、もっぱら学問を通じて、もちろん他の活動を否定するものではございませんけれども、総じて学問を通じて、勉学によって人間を形成しよういうのであります。そうしてよき意思を養い、豊かな情操を蓄え、知識を磨き、また健やかな健康を持った人格を育成していこうという考えであります。

4番目に、従来の教育というものが語学の点において非常に実用的でなかったと思うんです。そういう点を本当に実用的な、生きた語学を身につけて、これからの国際社会に十分対処できるようにしたいと、そういう考えを持ってこの大学を創設したわけでございます。

私の考えによれば、大学というものは、学生が多数おるから、それで大学が立派というわけじゃないと思うんです。入学試験が難しいから、それで大学が立派というんじゃないと思うんです。我々がその謙遜な気持ちを持って、自分たちの今までの経過というものに対して感謝の気持ちを持ち、現在お互いに信頼し合って、そして大学理念(の実現)に協力して行こうと、そういう文化的な、倫理的な教育共同体としての大学というものが私は値打ちがあるんだと思うんです。そういう意味において、私たちは獨協大学という新大学に対してプライドを持っていこうと思うんです。

その自分にないものをあるように思って、何も値打ちのないものを値打ちのあるように思っているのは、それは傲慢ということである。また、自分が現に値打ちのあるものを持っているのに、それを何も持たないように思っているのは卑屈ということなんです。我々は諸君とともに、傲慢でもない。もちろん、自分たちが入学試験を突破したとか言って、そうして傲慢になっているなんていうのはおよそ値打ちのない話である。しかし自分たちは卑屈でもない。そうじゃなくして、自分たちの持っているものは持っている。自分たちの持たないものは持たないというプライドに生きようと思うんです。獨協大学生は、そういう意味で十分プライドを持ってこれから学問をされたらいいと思うんです。そういう大学に、学生諸君みんなが今度学ばれるわけでありますから、十分この大学の意味とか学生のあり方というものをお考えになっておくことが必要だと思います。

まず、私が第1に皆さんにお願いしたいことは、その大学というものを自分の外にあるものと考えないでもらいたい。従来しばしば大学というものを対象的に考えて、自分の外にあって、自分はそこに通っているんだ。大学は自分の向こうにあるもの、こういう考えは少なくも獨協大学にとっては全然間違っている。そうじゃなくして、諸君は大学の中にある。諸君なくして大学はない。しかし大学なくして諸君の獨協大学生というものもない。そうじゃなくして、獨協大学という一つの生きた全体、その全体の諸君が一構成員、一メンバーである、一ページである。だからしてこの大学が十分発展をし、多くの成果を結んでいくというのには、諸君が学生としての自分のあり方を十分に自覚して、我々の大学としての営みに協力してくれるということがなければ、この大学は発展できない。大学生として、大学というものを外に見て、対象的に見るのではなくして、大学という一つの主体の中に諸君がその一構成員として、一メンバーとしておる。そういうことをまず諸君によく自覚して欲しいと思う。大学にただ自分が通って、大学を一つの方便として通っていくというのではなくして、我々とともに、もちろん学生として大学の営みを自らやっていくんだと。その諸君の協力がなくしては立派な大学というものは建たないのです。そういう我々大学の学長とか教授、その他のものはもちろんですが、諸君もそういう心持ちでやってもらわない限り大学は発展できない。そういう意味で、諸君は大学という文化的、倫理的な教育共同体のメンバーなんだ、協力者なんだということを十分に自覚してほしいということが第1であります。

第2に、そういう大学の中における諸君自身のあり方というものをまたよく考えてみていただきたい。諸君が大学にお入りになるのは、もちろん大学は人間形成の場であるから立派な人物になろうと、そうお考えだろうと思うんです。そういう人間形成ということは、いろいろな手段でやれるんです。スポーツによってもできるし、あるいは宗教の修業によっても、またいろんな茶道とか、いろいろな芸道とか、そういうことによっても人間形成ということはできるんです。それは、諸君がご承知のように、社会でも一芸に通じている人は人間ができているということがよく言われるけれども、大学の人間形成は、ただいまも申したように学問ということを通じなくちゃ大学の人間形成というものはできない。

したがって諸君に要求されることは、学問を勉強するということなんです。大学の要求する学問というふうなものは、これはやはり自分がその中へ入ってやらなくては分からない。学問という一つのイデア(idea 理念)の国に通ずる道は、私の考えでは「勤勉」という道より他にないと思うんです。学問というものも、例えば泳ぎというものに比べてみるならば、泳ぎをいかに泳ぎの本で読んでも、人の話を聞いても、泳ぎはわからない。水の中へ入って泳がなくちゃ泳ぎというものはわからない。学問も、外からいろいろ聞いたんではわからない。本当に真剣になって、大学の学生として十分学問というものに浸って、その中で勉強するということをしなくては学問というものは残念。そうでなくては学問による人間形成ということはできない。

だから、諸君にぜひお願いしたいことは、諸君が大学へ入ったらば勉強するということ。極めて平凡なことのようだけれども、勉強すると。勉強しない大学生などというものは矛盾した概念だと私は思っております。それは泳がない魚とか、飛ばない鳥とか、黒焼きにした氷とかいうような矛盾した概念で、大学生というものは必ず勉強するものでなくちゃならない。

そういう意味において、どうかひとつ諸君は、大学へ入るということは決して到着点ではなくして、他の大学においてもしばしば人が考えるような到着点ではなくして出発点だ、これから勉強だ、こういう考えを持って獨協大学にお入りいただきたいと思うんです。これが最も重要なことです。

それから私が考えますのに、諸君に勉強をして欲しいと言いましたけれども、その勉強は、決して入学試験の勉強のような、そういう不健康な勉強ではないんです。諸君はもう入学試験というような、そういう試験勉強というようなものは諸君はもう払い退けてきちゃったんです。獨協大学はそういう無理な勉強をさせるところではなくして、実に自由な…自由に勉強していくところでありますから、諸君に勉強して欲しいと言っても、どうかのびのびとして、快活にカレッジライフを味わっていただきたいと思うんです。そういう意味の勉強というのは決して体に害があるどころじゃなくして、むしろ体によいと私は思っております。

そういうようにして勉強していくのにはぜひ諸君に規則正しい生活をしてもらいたい。ややもすると、大学生というようなものは不規則なことになってくる。だから私は諸君に学校を遅刻とか欠席とかしないようにしてもらいたい。世間では、学力さえあれば遅刻しようが欠席しようが少しも構わんというような論をする人がありますけれども、しかし、それは特別な人はそういうことがあるでしょう。けれどもしかし私の考えでは、人間というものはすべて、カント(Immanuel Kant 1724-1804)が言っているように傾向性、(即ち)インクリネーション、ナイグング(Inklination, Neigung 傾向性)というものを持っている。だからして、ややもすれば自分達は学校におくれたり、あるいは学校を休んだりというように傾きやすいんです。人間というものは。だから、ここに一つ筋を立てておいて、学校には必ず何時までは出ると、休まないと、そういうことをしておくというと、人間の体がちゃんと整ってくるから勉強もよくできるようになるということは多くの人の経験しておるところであります。そういうような意味で、諸君はぜひ規則正しくして、今度は諸君は無理な勉強をする必要はないんですから、夜は何時に寝るとか、朝は何時に起きるとかいうようにして、体を正当にして、そしてひとつ休まずに、しかし急がずに勉強をどこまでもしてもらいたい。そしてこの大学を出るときは、実に立派な卒業生として諸君に出て行って欲しいと思うんです。

私の好きなへ一ゲル(Georg W.Friedrich Hegel 1770-1831)の言葉にこういう言葉があります。

「一本の果物の樹がどういう果物を実って、その果物がいかなる大きさを持ち、いかなる形を持ち、いかなる匂いを持ち、味わいを持つかということは、その一本の大きな果樹の芽生えの中に入っている」と、こういうことを言っております。繰り返して申しますと、一本の果樹がどういう実を結んで、その実がいかなる形を持ち、大きさを持ち、匂いを持ち、味わいを持つかということは、その果樹の芽生えの中に入っている。

獨協大学が将来いかなる文化の実を結んで、その文化の実がいかなる大きさを持ち、形を持ち、匂いを持ち、味わいを持つかということは、獨協大学の芽生えである諸君の中にある。諸君がいかなる考え方をし、いかなる日々実践するかということに獨協大学の未来はかかっている、こう信ずるものです。どうか諸君に、よく大学の理念を理解して、それに協力していただきたいと思います。これをもって式辞といたします。

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